
大盛況!リメイクの1月の現状
1月半ばになり、リメイク・リサイズのお問い合わせが多くなりました。いろんな方がいらして、令和3年に利用するからお願いしますとおっしゃる方もいらっしゃいます。
そうかといっても、やはり令和2年の3月に間に合いますかというお問い合わせが圧倒的に多いです。
ひな人形のお道具等は季節商品ですので、やまだもある程度の在庫は用意しています。
正直申し上げますと、お人形の修理依頼がなければ、仕事をいただいて丁寧に作業を進めて、2月末には間に合うと思います。
特別規格外のケース、収納箱、段などをお求めの方は、1ヶ月程度のお時間をいただくことになるかと思います。
いずれにしましても、お気軽にお問合せ下さい。
現在、リメイク・リサイズのお仕事をお受けしております方には、お待たせしておりますが、順次進めておりますので、よろしくお願いいたします。
日本のひなまつりの由来について(その2)
前回からの続きを、今回2回目としましてのせますので、よろしければ前回分の記事をご覧下さい。
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京都で生まれた雛遊はあくまでも貴族生活の縮図でした。京都の雛遊を江戸へもたらした一人に春日局の名が見られます。
こうした雛遊が、そのまま民間に浸透していったという見方と、地方では、民間で芽生えた信仰が地方色豊かに存在していて、そういう幸の神を祀るかたちは、必ず男女対の像があって、婚姻、安産、育児の祈願の対象となっているのが、雛祭に転化されたという見方があり、それぞれ根拠がありますが、ここでは割愛して、お話をすすめます。
京都の雛遊が民間で芽をふいているのは江戸より早いのではないかといわれるのは、雛人形の工作者が宝暦(1751年)まで江戸に少なく、京都が独占していることからです。
京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも3月3日に定期的に行なうようになったのは、大体寛永の末期頃(1640年)といわれております。
そして雛遊というよび方から雛祭というよび方に変わったのは享保(1716年)以前といわれていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊とよばれていたわけです。
江戸風俗のなかで、特に取りあげたいのが、雛売と雛市です。
雛売
雛市にはそれが開かれている特定の場所まで買いに行かねばならないが、雛売りは移動販売の便利さと、比較的生活水準の低い人たちが利用したといわれます。
しかし明和(1764年)安永(1772年)に見られた雛売も寛政(1789年)の頃には姿を見なかったといいますから、雛市におされてしまったものと思われます。
2月中旬から「乗物ほかい雛の道具」と呼んで、葛籠を両掛にして、売りに来たものです。
人形は、おやま人形で、たけが4.5寸(約12cm)から8.9寸(約24cm)までといいますからそれほど大きなものではなく、内裏雛、小人形、雛の道具などが見られます。五人囃子は天明(1781年)頃になって登場します。
雛市
一方雛市は享保(1716年)に開市されたものらしいといわれ、十間店は後に十軒店となった。つまり、十間を限って出店が許され、場所は今の日本橋室町二丁目、三丁目にあり、雛人形の集散地でした。安永(1772年)頃には雛市は十軒店の外に尾張町(現在の中央区銀座一丁目)にも設置されています。
寛政(1789年)頃からは、浅草茅町、池の端仲町、麹町、駒込などにも雛市が開かれています。十軒店が大へん賑わい、華やかさを見せたのは、ここでは匂うばかりの片はずしや、文金高髷が見られ、あだものが目白押しだったところから、見るは法楽とばかり物見高い江戸っ子が寄って、箱の雛人形と生きた雛と見くらべるといったところから推して、ここは歓楽的境地の傾向をおびていったようです。