五月人形について

五月人形の歴史について

3月3日を過ぎますと、五月人形のお問い合わせが多くなります。

「五月人形はどうして飾るの」

「五月人形はいつから飾るの」

「五月人形は兜、鎧、大将のどれがよろしいですか」

「五月人形をケースにリメイクして飾って、一年中お部屋のインテリアとして飾りたい」

「五月人形の横に内飾りのこいのぼりといっしょに飾りたい」

等のご質問、ご意見お聞きします。

本日は、まず五月人形の歴史についてお話しします。

 

端午の節句の歴史は古く、はじまりは菖蒲飾り

端午の節句(※)は、奈良時代(約1250年前)から始まったといわれます。この時代、朝廷では5月5日に菖蒲を飾り、無病息災を祈る節会を行っていました。菖蒲には特別な力があると信じられ、この菖蒲を目印として神をお迎えしたのが、菖蒲飾りの始まりとされています。平安時代になると端午の夜に菖蒲を枕の下に敷いて寝る「菖蒲の枕」や、節会では菖蒲草を冠にいただき騎射(うまゆみ)が行われるなど、端午の節句、菖蒲の節句が記されています。

※端午の節句:月初めの午の日を「端午」とし、奇数月の同じ数字が重なる日を節句としました。この慣わしが、いつから5月5日に限られるようになったのです。

 

鎌倉時代になると、旗幟や吹き流し、鎧や兜

鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣の形を連想させることなどから、端午は男の子の成長を祝い健康を祈る節句となりました。そして、5月の節句には外に旗幟(きし)や吹き流しを飾り、座敷には鎧や兜、武具を飾るようになりました。

現在、鯉のぼりと一緒に飾られることが多い旗幟

 

武家から町人に広がり、豪華になっていった江戸時代

江戸時代、武家のあいだでは男児の節句として定着していた端午の節句が、町人のあいだにも広く伝わっていきました。町家では武者絵のぼりや鯉のぼりが立てられ、男児の健康と出世を願う気持ちが武士の鎧兜と結び付いて、鎧兜を付けた人形や金太郎、桃太郎などの人形飾りへとつながっていきました。また、室内に飾るようになった甲冑は次第に作りが精巧に豪華になっていきました。江戸時代の後期には、男の子の誕生を祝う「初節句」が盛大に行われるようになりました。

 

現代に受け継がれる男子誕生を祝う初節句

武者人形を飾って男の子のすこやかな成長を祝う習慣は、日本独自の節句行事として現代に定着しています。とくに今日では、初節句にその精神を貴び、五月人形として鎧や兜を飾るようになりました。男の子の誕生を祝い無事に成長し、強く、立派な男子となるようにとの家族の願いが込められています。

※「こどもの日」:端午の節句の5月5日が、「こどもの日」として祝日に定められたのは、昭和23年。

 

本日は、五月人形の歴史についてお話ししました。

ご質問、ご意見等ございましたら、なんなりとお願いします。

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