3月3日を過ぎると、はたきかけてお人形をしまって、リメイクとおっしゃって送ってくださる方がいらっしゃいます。
お受け取りして箱に名前を書いて積みまして、順番にリメイクの用意にかかっています。
先日は大野のひな祭りを終了しましたので、スタッフ一同交代で全国のひな祭りを見学、勉強に歩いています。
それでも、大野のひな祭りの始末や、来年のために今年の反省の資料を集めたりしています。
先日は大野のひな祭りをご紹介しましたが、本日は福井のひな祭りをご紹介します。
2025年2月1日~3月4日 福井市宝永3丁目の養浩館庭園で「ひなかざり」を主催しました。
その様子をご覧下さい。
好評で、この庭園は外国でも有名だそうで、海外の方も多くみえて撮影されていたそうです。







名勝養浩館庭園(旧御泉水屋敷)
養浩館庭園は、かつての福井藩主松平家の別邸で、江戸時代初期から中期にかけて造られました。正確な成立時期は詳らかでない点が多いのですが、3代忠昌時代(1623~1645)に藩邸となり、城下を流れる飲料用の水路である「芝原上水」を引き込んで池を造り、御泉水屋敷になったと考えられています。文献上の初見は明暦2年(1656)です。今見るような姿に整えられたのは、7代昌明(のち吉品と改名)の時(1686~1703)とされています。庭園は池を中心に、数寄屋造りの屋敷と池周りの園路から、さまざまな景色を楽しめる廻遊式林泉庭園となっており、藩主一族の休養の場や住居、茶会・饗応の席などとして使われていました。
明治維新によって、福井城は政府所有となりますが、御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地として、迎賓館等の機能を果たし、明治17年(1884)、松平春嶽によって「養浩館」と名づけられました。これは、「人に元来そなわる活力の源となる気」、転じて「大らかな心持ち」を育むことを意味する孟子の言葉「浩然の気を養う」に由来すると言われています。
その庭園と建造物は早くから注目されており、学術的に高い評価を受け、昭和初期の調査で写真にも記録されています。その後、昭和20年(1945)の福井空襲により、建造物や樹木は焼失してしまいますが、庭園の石組や築山、空間構成等は守られました。昭和57年(1982)には「良く旧態を残した優秀な庭園である」として国の名勝に指定されています。これを機に、文政6年(1823)の「御泉水指図」を基として庭園の修復と建造物の復元が進められ、約8年の歳月の後、平成5年(1993)に完成し公開されました。
本庭園では、発掘された遺構の上に建造物を直接建築するという画期的な手法をとることで、屋敷から庭を眺める視線の高さが当時の状態に保たれています。また、名勝庭園ではめずらしく、かつての藩主と同じように座敷からゆったりとお庭を眺めることができ、その魅力を存分に味わえます。
福井市内にもこのような庭園がありますこと、ご紹介させていただきます。
ぜひ通年開園していますので、お出かけ下さい。