五月人形について

五月人形の部品の説明について

4月に入り、五月人形のリメイク・リサイズに追われています。

ご自分のお人形をどのようになさるか、みなさん真剣です。

アドバイスしてお手伝いさせていただきますが、お決めになるのはご自分ですからみなさんかなり迷われます。

なぜ5月5日に男の子の節句をお祝いするのかのべます。

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5月5日に男の子の節句をお祝いする理由

なぜ5月5日に男の子の節句を祝うのでしょうか

端午の節句は、5月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、のちに5月5日となりました。

 特に季節の変わり目であるこの日に、病気や災難を払おうと、昔から邪気を払う力を持っていると信じられていた菖蒲を軒にさして軒菖蒲、お風呂の中に入れて菖蒲湯、枕に菖蒲を挟んで菖蒲枕などが行われてきました。

 これらは奈良時代から現在まで続いている端午の節句の奥ゆかしい風習です。

この端午の節句が男の子の祝日となったのは、江戸時代に入ってからです。

 菖蒲が「武をたっとぶ」という尚武(しょうぶ)と同じ音であることから、いかにも男の子の祝いらしいと武家社会に好まれ、旗・差物・幟を門口に飾って、勇ましくお祝いをしたものですが、それが武家ばかりでなく庶民一般にも、だんだんとこの風習が広がっていったのです。

現代では、鯉のぼりや武者幟を立てたり、部屋の中には鎧兜(身を守る防具=お守りとしての意味)や武者人形などの五月人形を飾ってお祝いします。

五月人形の鎧兜の美しさについて

続いて、五月人形の鎧兜の美しさについてお話しします。

お節句の意義(健やかに無事に成長するように=御守り)で飾るのでしたら、戦国時代ではなく、平安時代から鎌倉時代頃にかけての武将の晴れ着としての「鎧」が、それにふさわしいと考えているからです。

 「鎧」は身を守る防具です。つまり、「御守り」です。

そして、晴れ着ですから、色彩も非常に美しいのです。

「鎧」は装飾性が高く、作られた当時も実用というよりもむしろ工芸品として製作されています。

お祝いの儀式や祭礼に最高権力者である一族の長として出席するのに着用したものです。

つまり、戦いではなく、むしろお祝いに使ったものなのです。

糸の編み目のことを威毛(おどしげ)と言います。

緒を通す、あるいはきれいさで相手を驚かす、などが言葉のルーツらしいです。

 

・精緻な金物

この写真は兜頂点天辺穴(てっぺんあな)付近です。

本物の国宝甲冑も、鍍金(ときん)というメッキが施されています。

金鉱山の副産物で水銀が産出されましたが、その水銀に金を含ませ、土台となる青銅の上に銅の刷毛で塗り、火であぶる事によって金を付着させ(金アマルガム法)ました。

この方法は古墳時代でも用いられた歴史ある技法です。

・鉢裏の刺子

この写真は、兜の裏(ひっくり返したところ)です。

見えない部分も、写真のように、赤い布に刺子を施し、浮張りにしています。

眉庇(まびさし=帽子のつばにあたる部分)の裏側にも金襴を施し、止め金具等がむき出しになっていることはありません。

赤く染めた忍び緒(赤色は魔除けの意味)もしっかりとした構造となっております。

前述の編み目の裏側も同様にきれいです。

・伏組(ふせぐみ)と小縁(こべり)

左回りの矢印状にみえる規則正しい模様が伏組です。

赤く染めるのは、赤は魔除けの効果があるとされ外敵の侵入を防ぐ意味です。

・弦走韋(つるばしりがわ)

鎧は、馬上にて弓を射るのに合理的に出来ています。

 胴正面には、弓を持ち矢を放ったときに、弓の弦がお腹の前で引っかからないように、本物の鎧にはこの弦走韋が必ず張られています。

また弦走韋の下部は、繰締緒(くりしめのお)という細くて丈夫な組み紐です。

・逆板(さかいた)

背中の写真です。

 写真の中央、大きな金色の金具が取り付けてある横長の板(上一段白系、次畝目、下二段赤系)が逆板です。

この逆板は上側に開く構造になっています。

本物の鎧の背には、この逆板が装備されています。

逆板の役目は3つあります。

1つは、両袖の後ろと紐で接続しており、袖が前に垂れないようにしたり、手を振り上げたときの調節機能です。

2つ目は、心臓部を二重にして防御を固めること、そして3つ目は、後ろ姿を美しく見せるためです。

・蝙蝠付(こうもりづけ)

この写真は、左側の腰あたりです。

写真の中央、白い絵韋の部分のことを蝙蝠付といいます。

蝙蝠付の役目は、前後左右、4つの草摺のうち、馬の背にあたらず、重量が直接かかる左右の草摺を補強するためです。

 

今回は、五月人形の本体の部品の説明をのべました。

 

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