ひな人形は7段15人が本来の姿です。
お一人お一人がそれぞれ由来を持った大切な意味を持ったお人形です。
今回は、その意味についてご説明します。
どうしてひな人形は15人なのか、並べ方に決まりがあるのか、お人形に由来があるのか、何度かご質問をお受けしましたので、それにお答えします。
いつも1段目の殿、姫からはじまります。
今回は1段目と5段目を述べます。
ご質問、疑問がありましたらなんなりとおっしゃって下さい。よろしくお願いいたします。
今回は、お内裏様と、何かと気になる「仕丁」と役割分担についてご紹介します。
仕丁(じちょう)とは
ひな段の5段目で表情豊かに座っている「仕丁」。その表情から「怒り上戸」、「笑い上戸」、「泣き上戸」の「三人上戸」とも呼ばれてきました。彼らの持ち物は掃除道具や、傘や履物、宴会セットなど様々なパターンがあります。
「内裏」
内裏とは、大内、御所、禁中、禁闕、禁裏などと呼び、天皇の平常の御在所の事で、天皇の居住、生活空間の名称。それに由来し天皇皇后をも示します。
平安時代の内裏は、延暦年間(782~806)に造営され、度重なる火災にあい、安貞元年(1227)に再建中の殿舎が焼けたのを最後に廃絶しました。平安宮の内裏は、建礼門から内を中重とし、中重から内を内裏と呼んでいました。
昔は貴人を名前で呼ぶことが憚れたので、住まいに「さま」をつけ「お屋形さま」「お殿さま」「御所さま」などと呼んでいました。
実際の天皇の呼称は、明治時代まで公家では「お上(かみ)」「上(うえ)さま」、民間では「お内裏さま」、「御所さま」などと呼ばれていました。皇后の敬称はあまり用いられず、「中宮さま」、「女御さま」などと呼ばれていました。
「内裏雛(だいりびな)」
ひな人形は、江戸中期頃までは、男女一対の雛を飾るのが普通でありました。また高貴な男女を象徴した人形であるため、「内裏雛」や「お内裏さま」と呼ばれました。「内裏雛」というのは、当時からの呼称で、延宝四年(1676)の『俳諧当世男』に、“七寸の屏風やけふの内裏雛”とあるのをはじめ、多くの資料にも見受けられます。
現在、男雛を「お内裏さま」、女雛を「お雛さま」と呼ぶようになったのは、童謡「うれしいひなまつり」(作詞サトウハチロー)の誤りが一般化したもの。本来は、男雛・女雛の一対、または男雛のみを「お内裏さま」、「内裏雛」と呼ぶのが正しいとされます。
「仕丁の役割-人生の喜怒哀楽」
宮中に仕える男性を「仕丁(または衛士)」と呼ばれます。関東式に多く見られる仕丁は「親王のお出かけの世話」、京式に多く見られる仕丁は「掃除」の役割を担い、「宴会」を満喫しているものも見られます。ひな段の中に登場する人形のなかで、唯一の庶民出身者で、立膝で座る指令の人形も見られます。ひな段の5段目に飾られます。様々な背景を経て宮中に仕えることとなった人生の喜怒哀楽を、表情で表しているとされます。
仕丁の持ち物と飾り方の東西差-お出かけ・掃除・宴会
宮中の雑務をこなす仕丁の役割を、人形の持ち物で表しています。
関東で多く見られるのは、殿の台傘・殿(男雛)の履物を載せた沓台・姫(女雛)に差しかける立傘といった「お出かけセット」を持つ仕丁。関東式の親王は向かって左が男雛、右が女雛となるため、沓台(泣顔)を中心に、向かって左が台傘(怒り顔)、向かって右が立傘(笑顔)と並べます。
一方、京式の仕丁は熊手・ちりとり・箒の「お掃除セット」を持っているものがポピュラーです。並び順は、ちりとり(泣き顔)を真ん中に、向かって左に熊手(怒り顔)、右に箒(笑顔)の仕丁を並べることが多いです。
他にも「宴会中の様子」として、杯・酒器などを手に、鍋や御馳走を囲む仕丁も見られます。この宴会は、親王(男雛・女雛)の婚礼祝いの酒宴であるとか、仕丁としての雑役が明け、故郷に戻る前祝いの酒宴である、などと言われます。「お掃除セットの仕丁」と「宴会セットの仕丁」は、人形の並び順が違うものも見られます。
住環境などで段飾りが少なくなった現代でも、各地の雛展などで注目を集めています。