春を彩る越前おおのひな祭りの開催にあたって、東北から九州まで毎年開催されています全国のひな祭りに、スタッフ一同交代で見学に訪れています。
今年も何ヶ所か取材して、みんなで報告しあっています。
なんとか越前大野のひな祭りを皆様にご覧いただき、よかったねと満足していただけるよう主催者一同みんなで考えています。
それには百聞は一見にしかず、まずひな祭りの現場に行って見学する。
写真撮影OKなら、できるだけ保存して参考にさせていただく。
内容や詳細は、できるだけ関係者の方々にお会いしてお話をお聞きする。
関係者の方々も老若男女あらゆる世代の方のご意見をお聞きする。
これに気を付けています。
現場でひな人形を並べる方々のご苦労話をお聞きすると多々納得することもあり、新たな発見やお話の内容でご苦労がしのばれます。
お話下さる時は、皆様一様にきらきらと目を輝かせてどうしたらこのお人形を美しくきれいに愛らしく展示できるか、悩まれるそうです。
お話をお伺いしていると、もちろんお仕事でもありますが、人形に愛があるから続けられるんじゃないかと思います。
最初は淡々と飾っていても、お人形さんのお顔や表情をみていると心がなごんできて、早くお友達もいっしょに飾ろうねと思ってきます。
苦労もあれば楽しみ、喜びもあります。
こんなことは、主催者さんとお話していると来年の課題にもなり、勉強になります。
須坂アートパーク
それでは、第15回2022須坂アートパーク 30段飾り 千体のひな祭り(リーフレットより)についてお話しします。
今年は善光寺の御開帳があり、いつもならひな人形、その後展示替えして五月人形を展示でした。
今年は展示替えの期間を短くして、ひな人形、五月人形を同時に展示しています。
開催期間は4月28日~6月28日までですので、来年はぜひご覧にお出かけ下さい。
お雛祭り(桃の節句)とは?
お雛祭り(桃の節句)は女児の健やかな成長を祝うための節句です。日本では1月7日「人日(七草の節句)」、3月3日「上巳(桃の節句)」、5月5日「端午(菖蒲の節句)」、7月7日「七夕(たなばた)」、9月9日「重陽(菊の節句)」を”五節句”と呼び伝統的な年中行事となっています。なかでも”桃の節句”と”菖蒲の節句”は現在でも大切な節句として認識されています。
月遅れの雛祭りとは?
古く日本では太陰太陽暦(旧暦)が使われており、3月3日の雛祭りは現在のグレゴリオ暦(新暦)の4月に行われていました。現在でも雪の多い地域や農村部では暖かくなってきた旧暦に雛祭りを祝う風習も強く残っており、須坂市でも4月の”月遅れ”で祝うという習慣が残っています。
享保雛
江戸時代の享保年間(1716~1736)頃に最も流行したとされる座り雛。総じて大型のものが多く、衣装も金襴や錦などを使い、面長で神秘的な表情をしています。男雛は束帯に似た衣装で、両足を前で合わせます。女雛は冠をかぶり五衣(いつつぎぬ)や唐衣(からぎぬ)に似せた衣装で、綿で大きくふくらませた赤い袴を着けています。世の中が贅沢になるにしたがって大きさも競われ、享保6年には24cm以上の雛の禁止令も出たほどでした。財力を蓄えて台頭してきた町人社会に人気が高く、この様式の雛は明治の末ごろまで作られました。享保雛の名称は明治の好事家によって命名されたもので、必ずしもその時代の雛とは限りません。
古今雛
安永年間(1772~1781)頃に江戸で生まれたとされる雛人形。人形師の二代目舟月によって大成されたと考えられています。顔は写実的で、後に目にガラスや水晶をはめ込んだものも作られます。女雛の袖口には金糸や色糸で鳳凰や唐草の刺繍がほどこされたものもあります。これまで優れた雛は京製でしたが、江戸生まれの雛人形ということでも人気を博し、「古今」という語感の優しさが人形の雰囲気と相まって、やがて京・大阪でももてはやされました。装飾性にとんだ雛人形で、明治以降現代にまで引き継がれています。
御殿雛
京あたりでは、天皇の館のことを御殿といいました。御殿飾りというのは、京都御所の天皇の即位式などが行われた御所の正殿である紫宸殿風の館に人形を飾る方法です。御殿飾りは、二~三段の上に御所の紫宸殿になぞらえた御殿を設け、御殿に内裏雛を飾り、その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、横に鏡台や茶道具、重箱などを飾ります。
江戸風に比べ簡素で古風なのが特徴です。江戸を中心に段飾りが発展する一方、京阪地方では御殿に人形を並べ飾る方式が歓迎されていました。現在は五段、七段の段飾りが多いですが、戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿雛が流行しました。
-須坂さんのパンフレットより記載しました-