今回は、端午の節句についてご説明します。
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端午の節句の歴史
端午の節句の歴史は古くはじまりは菖蒲飾り
端午の節句は、奈良時代(約1250年前)から始まったといわれます。
この時代、朝廷では5月5日に菖蒲を飾り、無病息災を祈る節会を行っていました。
菖蒲には特別な力があると信じられ、この菖蒲を目的として神をお迎えしたのが、菖蒲飾りの始まりとされています。
平安時代になると端午の夜に菖蒲を枕の下に敷いて寝る「菖蒲の枕」や、節会では菖蒲草を冠にいただき騎射(うまゆみ)が行われるなど、端午の節句、菖蒲の節句が記されています。
鎌倉時代になると旗幟や吹き流し、鎧や兜
鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣の形を連想させることなどから、端午は男の子の成長を祝い健康を祈る節句となりました。
そして、五月の節句には外に旗幟(きし)や吹き流しを飾り、座敷には鎧や兜、武具を飾るようになりました。
武家から町人に広がり豪華になっていった江戸時代
江戸時代、武家のあいだでは男児の節句として定着していた端午の節句が、町人のあいだにも広く伝わっていきました。
町家では武者絵のぼりや鯉のぼりが立てられ、男児の健康と出世を願う気持ちが武士の鎧兜と結び付いて、鎧兜を付けた人形や金太郎、桃太郎などの人形飾りへとつながっていきました。
また、室内に飾るようになった甲冑は次第に作りが精巧に豪華になっていきました。
江戸時代の後期には、男の子の誕生を祝う「初節句」が盛大に行われるようになりました。
現代に受け継がれる男子誕生を祝う初節句
武者人形を飾って男の子のすこやかな成長を祝う習慣は、日本独自の節句行事として現代に定着しています。
特に今日では、初節句にその精神を貴び、五月人形として鎧や兜を飾るようになりました。
男の子の誕生を祝い無事に成長し、強く、立派な男子となるようにとの家族の願いが込められています。
童話について
金太郎
別名を金時と呼びます。
童話でおなじみの熊と相撲をとった力自慢の童子。
平安時代の剛勇、坂田公時の少年時代だといわれます。
成人して都に上がった公時が、源頼光の四天王の一人となって大活躍する説話が浄瑠璃や歌舞伎で脚色され、子どもたちの英雄となりました。
桃太郎
室町時代から伝わるといわれる日本五大昔噺のひとつ、ご存知、桃から生まれた「桃太郎」。
桃太郎は、人々に乱暴をはたらいていた鬼を退治するため、きびだんごを持って、イヌ、サル、キジをおともにしたがえ鬼ヶ島へでかけます。
そこで見事鬼たちをこらしめました。
粽(ちまき)
平安前期の書物にレシピが残るほど伝統ある粽。
中国の古い歳時記によると、楚の国王から信頼の厚かった屈原が陰謀によって失職し、川に身を投げます。
哀れんだ村人が、命日の5月5日に、霊をなぐさめようと米を川に流しました。
このとき川に住む蛟竜が食べないように、葉と五色の糸で米を包んだのがはじまりだとか。
もち米と大福豆を竹の皮や笹で包みます。
柏餅
和菓子としては江戸の頃から登場します。
平たくかためたしん粉の上に餡をのせ、二つに折って柏の葉で包みます。
柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていきました。
菖蒲湯
男の子の無事の成長を願って、風呂に菖蒲の根付きの葉を浮かべて入浴します。
じっさい、菖蒲には身体を温め、血行を良くし、皮膚をなめらかにする働きがあるといわれ、冷え性や筋肉痛、腰痛などに効果があるそうです。
五月人形の飾り方について
鎧段飾り
本来は、緑のもうせんを使用した三段飾りが主流でしたが、重厚感のある木製飾り台の登場で、段飾りも一層豪華になりました。
鎧平飾り
鎧飾りで、両立や三品などの道具を省略した形での飾り方です。
兜平飾り
兜だけを飾ったセットです。
鎧に比べ、飾り付けが簡単でスペースもコンパクトになります。
関東型段飾り
関西型段飾り
五月人形の飾り方は、地方によって特徴があり、きちんとした決まりはありません。
鎧や兜を中心とした飾りで、大別すると関東型と関西型に分けられます。
大きな違いは灯火具で、関東のかがり火に対し、関西は陣屋提灯になり、両立は左右が入れ替わります。
現在は住宅事情によって、スペースの関係もあり簡略化されています。
ご家庭によっては、このように正式に飾られる方もいらっしゃいます。
ご参考までにのべました。