人形の行事について

日本の一年の行事、暦について

 人形に携わる仕事柄、五節句(1月1日の正月、3月3日のひなの節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽の節句)の話は何度も申し上げましたが、今回手元に分かりやすくて詳しい資料が入りましたのでお知らせします。

 

日本の四季の移り変わり

 ご存知の方もいらっしゃいますし、わぁはじめてとおっしゃる方もいらっしゃると思います。

 ご参考までにご覧下さい。

 

一年の行事

 2月 立春 初午 針供養

 3月 ひな祭り お彼岸 お花見

 4月 花祭り 八十八夜

 5月 端午の節句

 6月 衣替え 入梅 嘉祥の日 夏越の祓

 7月 半夏生 七夕 土用 花火大会 夏祭り

 8月 お盆

 9月 二百十日 重陽の節句 中秋の名月 お彼岸

 10月 衣替え 十三夜 えびす講

 11月 亥の子 酉の市 新嘗祭

 12月 正月事始め 年の市 冬至 大晦日

 1月 お正月 初詣 七草粥 鏡開き 小正月 節分

 

旧暦と新暦について

 日本には、「新暦」と「旧暦」という二つの暦があります。

 新暦は、私たちが日常生活で使っている暦です。

 地球が太陽の周りを1周する期間を「1年」とし、1年を「12ヶ月・365日」に分けています。

 この暦は世界各国が採用しており、日本では1873(明治6)年から用いるようになりました。

 太陽を基準にしているため、「太陽暦」とも呼びます。

 一方、月をものさしとする暦は「太陰暦」です。

 月の満ち欠けを基準にしており、新月が満月となり再び新月に戻るまでを「1ヶ月」とします。

 ただし、月の満ち欠けの周期は約29.5日であるため、1年は354日となります(12ヶ月×29.5日=354日)。

 この11日間の差を修正しないと、年がめぐるたびに季節と月日がどんどんズレるという困った事態が起こります。

 そこで解決策として誕生したのが、新月から次の新月までを「1ヶ月」とし、地球が太陽の周りを1周する期間を「1年」とする旧暦(太陰太陽暦)です。

 年に11日間発生するズレは、3年に1回程度「うるう月」を設けることで調整していました。

 ところで、旧暦と新暦の日付が合致せずややこしく感じることはありませんか?

 実は二つの暦がズレた原因は、明治政府にありました。

 新暦を採用する際、「明治5年12月3日(旧暦の日付)を、明治6年1月1日(新暦の日付)とする」と決定したのです。

 当時の人々はしばらく新暦を気にせず、旧暦のままで暮らしていたそうですが無理もない話に思います。

 ひな祭りやお盆などの年中行事を旧暦の日付に近い「月遅れ」で行う地域があるのも、こういったことが背景にあるのです。

 

二十四節気について

 「二十四節気」は、太陽の動きをもとに作られた季節の目安です。

 旧暦では「うるう月」が生じることを先にお話ししましたが、少しずつ季節と日付がズレていくことは農作業を行ううえでとても大きな問題でした。

 そこで季節を知る手がかりとして、二十四節気が考え出されました。

 二十四節気は地球が太陽を1周する期間を24等分し、それぞれに季節をあらわす名前がつけられています。

 一つの季節につき節気は六つ。

 太陽の動きが基準となるため、1年でもっとも太陽が高くなる「夏至」ともっとも低くなる「冬至」、そしてその中間にある「春分」と「秋分」が、春夏秋冬それぞれの季節の真ん中です。

 各季節のはじまりは「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の四つの節気。

 「暦のうえではもう春です」といった表現は、二十四節気において季節が移り変わったことを意味しています。

 

雑節について

 二十四節気が考え出されたのは、古代中国の黄河中流地域といわれています。

 日本には6世紀末から7世紀にかけて伝わり、長きにわたり親しまれてきました。

 しかし黄河中流地域と日本の気候とで違いがあることから、農作業や季節のうつろいの目安となるような日が少しずつ暦に加えられていきます。

 これらはまとめて「雑節」と呼ばれ、旧暦とともに用いられていました。

 暮らしに深く関わっていることから、現在もその多くはカレンダーに記載されています。

 

おわりに

 日本古来の四季の催事は、日本の四季の季節の移り変わりはそれぞれに意味があるのは感慨深いです。

 春夏秋冬とはっきりしていて、その間にそれぞれ理由のある催事があります。

 それぞれのご家庭でカレンダーを今一度ご覧下さって、日本の文化の由来をゆっくりお考えになるのも一興かと思います。

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