ひな人形について

幼児向けのひなまつりのお話しについて

 6月終末を迎え、毎日せっせとお預かりしていますひな人形のリメイク・リサイズの作業を行っています。

 およそご意見に沿ってある程度それなりのリメイク・リサイズの形ができて製造各社に発注しますと、価格がでてまいりません。

 このご時世にかなりの価格アップがあり、製造会社も安易に価格がだせないそうです。

 やまだとすれば、できるだけ価格をおさえリメイク・リサイズと考えています。

 リメイク・リサイズはゼロや無からはじまるのでなく、お手持ちのお人形、道具を使用できるものは使用して、直せるものは直して修理できるものは修理してと考えています。

 よって時間がかかりますことはご了承下さい。

 最初にお断りしてから作業に入りますので、よろしくお願いします。

 

ひなまつりのお話し

 最近、子どもさん向けのひなまつりの資料が手元に入りました。

 大人の方や一般の方向けのひなまつりのお話しはよくありますが、このようにひなまつり向けの幼児の方向けのお話しは珍しいので、本日はこの小冊子の中から抜粋してお話しします。

 分かりやすく簡易に記されていますので、ぜひご覧下さい。

 

ひなまつりの由来

 おひなまつりってなあに?なぜ3月3日におひなさまを飾るの?--そんなことをお子さまからたずねられたとき、お母さま、正しいお答えができるでしょうか。

 日本に伝わる、さまざまなお祭りや季節の行事は、古来から子どもたちの情報を、豊かにはぐくんで来ました。家ごとに母から子へと伝える年中行事のなかに、子どもたちは自然の恵みや戒め、季節の移り変りを学び、知らず知らずの間に、躾や遊びを育てられてきたのです。

 現代のお母さま方も、おひなさまの起りや変遷、また、ふるさとに伝わる風習や民話などを、この機会に、やさしくお子さまにお話ししてあげましょう。それは必ず、幼い心にも強い感動を与え、生涯、忘れえぬ印象を胸に刻みつけることでしょう。お子さまはやがて美しく成長し、いつの日か母親となります。そして、再びわが子に語りきかせる日が訪れることを想像する時、きっとこのお話の大切さがお分かりいただけると思うのです。

まず、おひなさまの歴史から、ひもといてみることにしましょう。

 

ひな人形の歴史

 ひな人形の起源は、遠く一千年もの昔にさかのぼります。平安時代の初めごろは、お人形のことを「ひいな」、お人形遊びを「ひいな遊び」と呼ぶならわしでした。

 また、当時は上巳の節句といって、三月の初めの巳の日に、無病息災を願ってお祓いをする行事が貴族の間で行われていました。この日には陰陽師(占い師)を呼び、天地に祈りを捧げ、紙や植物で作った簡素な人形・形代にお酒や供物を添えて、川や海へ流すのです。昔の人々は、災厄を自分に代って人形に負わせることができると信じていました。この風習は、民間にも広く行われていて、今も神社の大袚の人形や、各地の雛流しの行事に面影を残しています。この形代の行事と、ひいな遊びとがいつか一つになり、次第に形が整えられて、ひなまつりとなって行くのです。

 

ひなまつりの歴史

 上巳の節句はやがて、三月三日に行われるようになります。しかし、江戸時代以前の二百年ほどは、現在のようにひなまつりとは結びついてはおらず、もっぱら貴族たちが、お酒を飲みながら詩歌の遊びや闘鶏(とりあわせ)を楽しむ日だったようです。

 戦乱の世が終り、徳川幕府が政権を握ると、長い泰平の時代のなかで、人々のくらしも落ち着きをとり戻し、年中行事も盛んになってきました。上巳の節句はいつしかひいな遊びととけ合い、江戸の中頃からはすっかり女の子のためのひなまつりとなります。おひなさまは必ず、男女の一対を中心に飾りますが、その様式も初期の立ちびなから坐りびなへと、次第に変化し、精巧なものが現れてきます。

 江戸初期の京都御所の盛大なお節句の様子は、当時の文献にも残されていますが、徳川家の大奥でも、この頃から盛んにひなまつりを行うようになりました。江戸は経済・文化すべての中心地でしたから、京都から伝わったこの行事も、次第に武家から町人へと広がり、地方へも伝わって行きました。こうして宮廷から幕府へ、また武家から町人へと広がったひなまつりは、地方ごとの特色をも生みながら、次第にひな人形を発達させ、今日も伝わる日本独特の優美な行事にと育っていったのです。

 

 やさしく分かりやすい文面ですので、このようにご説明、お話し下さるとよろしいかと思います。

人形のやまだはコチラ

-ひな人形について

© 2024 福井県の老舗人形屋、山田のブログ