人形の行事について

大野のひな祭りの関連記事について

今回は、中日新聞(2025年1月24日)に大野のひな祭りの記事が掲載されましたので、それをお知らせします。

職人魂込もった子たち

恵方巻きの広告を目にすると、お正月も終わったなぁ、次は節分かぁと思う。節分は二十四節気「立春」の前日。そして次にやって来る季節の節目「上巳の節句」が私たちが大切にしている「ひな祭り」だ。
私は「越前おおのひな祭り」の実行委員会の一人として毎年飾り付けをしている。家庭で眠っているひな人形をたくさんの方に見てもらい、人形に込められた「無事に育ち、幸せになれますように」という思いを受け継ぐためにだ。
物心ついた頃には、人形が身近にあった。日本人形・ひな人形・五月人形・西洋人形・ぬいぐるみ・・・。人形店を営む祖父母の家はもちろん、母の出張に付いていったときも友達とも、人形で遊んだ。今思うとなかなか無い環境だったと思う。
歴知るJourney(ジャーニー)の打ち合わせに行ったある日、「おひなさまの歴史について勉強会を開催してよ」とリクエストされ、昨年3月2日に「おひなさまの起源・陰陽道にあり」というイベントを開催した。
ひな人形って、すごいと思う!両手ほどのサイズの人形に何人の職人さんが関わっているか。人形の顔、衣装の生地、生地を縫う、人形に着せ付ける、扇や刀、人形に合う屏風や雪洞、道具など、数えられない職人がいて、一つのひな人形ができる。誰か一人でつくれるものではないし、それぞれの職人が適当な仕事などはしていない。同じものはない。
以前、ひな人形について話していたら「ひな人形のこと『子』って言うんですね」とツッコまれた。衝撃だった。そういえば、人形の数え方は「体」だが、私は「子」って言う。きっと私は、一つ一つの人形は別のもので、一括りで言うのが嫌なのかもしれない。「体」っていう言い方も冷たく感じる。「この子は、お顔がすてき」「この子は、衣装のここを見てほしい」と愛情いっぱいでひな人形と接していたいんだと思う。
上巳の節句は、陽の気が強まる特別な日。平安時代は陰陽師におはらいをしてもらい、人形に「ケガレ」を移して流す儀式が行われていて、それが江戸時代に今みたいな豪華なひな壇飾りに発展した。
二十四節気も節句も陰陽道の考え方だ。陰陽道宗家はおおい町名田庄にあり、暦会館に行けば詳しく学べる。イベントでは名田庄から詳しい方をお招きして、ひな段飾りに隠された陰陽五行説の考え方をひもといたり、桃の花が実は邪気を払うアイテムだと学んだり。参加者と一緒に、女の子の無事を願うすてきな祭りだと再確認した。
大野の冬にひな人形を飾り始めて15年。ひな人形を見る機会と春を感じてほしいと、今年も1月25日から平成大野屋平蔵などで開催を予定している。かわいいと思う子や見てほしいなと思う子を変えながら飾っているが、毎年「何体の人形が並んでますか」と聞かれる。数が多いのもよいと思うが、職人魂でつくられた子たちに会いに来てもらえたら、うれしいです。

大野のひな祭りについては、以下のリンクをご参照下さい。

春を彩る越前おおのひな祭りの開催について

今回は、中日新聞に掲載されました記事をご紹介しました。
ぜひご一読下さい。

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