ひな人形について

ひな飾りの歴史、昔の飾り方や販売方法について

七月の盆を迎え、ご先祖様のお墓参りにいらっしゃる方や、八月にお墓参りになさる方や、地方によってはさまざまです。

最近のきざしは八月が多いそうです。

日本の文化は、四季ごとにまたは文化行事ごとに、家庭の祝事、仏事によってさまざまな催しがなされます。

伝来の行事にのっとって正式に挙行される方と、現代風にアレンジしてご自分風にオリジナルにされる方と、形はさまざまでいろいろです。

仏事にしろ祝事にしろ、見様見真似でも形にのっとって挙行される方も増えてきました。

その一時だけでも、心静かにご先祖様を偲ばれる方もいらっしゃいます。

お祝い事を通じて、親戚の和のつながりや家族愛などを通じて、常日頃の喧騒を忘れて、ゆっくり思いにふけられる方もいらっしゃいます。

“やまだ”では、ひな人形、五月人形、人形を通じて、そんなお手伝いができたらと考えます。

よろしくお願いします。

 

本日は、ひな飾りの歴史、飾り方、販売方法についてお話しします。

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昔のひな人形について

ひな人形の歴史について「江戸時代~明治時代」

 

「室町家の比の雛図」 宮川長春画 作画期天和-宝暦頃(16831763

室町雛と呼ばれる古様の雛を描き、「室町家の比ひな遊びいまだ三月三日にさだまらざる時なれば、これは上ざまの常のもてあそびにしたるひななるべし かんふりはつくりつけにてありしが かけて失ひしとぞ」と記しています。雛は共に次郎左衛門雛風の丸い顔、男女とも手は見えず、女雛は袖を広げています。

この図は文化十三年刊の山東京伝の「骨董集」にも、また嘉永六年の「守貞漫稿」にも載っていて同様の文章も見られますが、長春のものはおそらくそれより古いです。これが京伝や守貞の原典になっているのだろうかという推測もわく1枚です。

 

「五節句之内 三月遊び」 奥村政信画 作画期享保-宝暦頃(171663

二段ほどの雛段の前で貝合わせをする娘たち。上段には二組の座り雛、下段には犬筥と這子が見えます。他の一団が駕籠に内裏雛一組をのせて運びこんでいます。雛の使いと称するこの駕籠には、後年はよりそれらしく、裃姿の少年の人形を乗せるようになりますが、はじめは贈り物の雛も、こうして運び込んだものでしょうか。

 

雛飾りの例 田村貞信画 作画期享保頃(171635

平たい台上に屏風を立て内裏雛を飾っています。下には行器や鏡台などの雛道具、高坏には菱餅にあられらしきもの-と現代にも見られる食品が供えられています。ただし添え飾りの人形には這子、裸人形、立雛から、おもちゃ類までをあれこれ並べ、まだ官女や五人囃子などの姿はありません。

 

「江戸名物狂詩選」より 方外道人著 天保七年(1836)刊

「七沢屋手遊」の項に、これをほめたたえて「看来たりて児女皆目を歓ばしむ。恰も小人島裡に遊ぶに似たり」とあります。

 

牙首雛と雛道具類 七沢屋製(吉徳これくしょん蔵)

内裏雛は象牙製のきめこみ雛です。高さは台とも11センチです。(安政二年作、1855

 

「紫草」より 岡田村雄著 大正五年(1916)刊

七沢屋の印をのせ、「此店維新当時閉店して今は存せざれど、七沢屋雛の名称のみは残れり」と記しています。

 

「吾妻余波」より雛遊び 岡本昆石著 明治18年(1885)刊

百貨店が雛人形を扱いはじめるのは明治37年末、デパートメントストアーとして新装開店した三越を嚆矢とします。のち、白木屋(現在の東急日本橋店)、松屋(当時神田今川橋にあった)がこれに続きます。三越が雛を手がけるようになったのは、俗に二八月という商いの閑散期の二月に、三越にほど近い十軒店の雛市がひとり賑わいを呈しているのを見て、当時の専務日比翁助氏が発案したことと聞きます。百貨店は、それまで雛市で行われていた値段のかけひきの弊を正札販売によって改良し、また新製品を次々と考案して問屋に作らせるなどして、新時代の需要に応えました。しかしその功績が、江戸伝統の「市」の急速な衰退につながったこともまた、紛れもない事実でした。

 

「三越」明治45年三月号(1911

雛人形売場風景。一式を調えて売るセット販売が普及するのは関東大震災後のことで、この時代は百貨店でもほとんど単品売りです。旧家の雛飾りでサイズの不揃いのものがたくさん段上に並ぶのは、こうした単品を親戚や知己から数多く祝品として貰ったことにもよるだろうし、また、それがあたりまえとされていました。

 

「みつこしタイムズ」 明治43年三月号(1910

価格の一例。並製と上製の価格の差はかなり大きいです。また、昔から雛人形がかなり高価なものであったことがわかります。親王の様式は、女雛の長く出した袖に刺繍が見られるなど、「吾妻余波」の挿絵にある古今雛風の東京製品です。

 

白木屋呉服店「流行」 明治43年三月号(1910

三越に一歩遅れた白木屋も雛人形には力を入れています。上は当時雛段によく添えられた浮世物の「胡蝶の舞」。下は「太田道灌」。

 

「三越」 大正6年三月号(1917

浮世物は明治の末から昭和初期までが全盛期で、歴史上の人物から演劇、お伽話の主人公まで幅広く作られて親しまれました。右上「小野小町」、左「高砂」、下「太田道灌」。

 

白木屋呉服店「流行」 大正6年二月号(1917

山階宮家の雛飾り風景。座敷一杯の段は二間(3.6メートル)余もあろうか。歴代の雛、御所人形、市松人形、雛道具類を所狭しと並べて飾るのが宮家や大名華族家の通例であったといいます。三田村鳶魚「江戸雑話」に載る江戸城大奥の雛飾りの記録も、規模の差こそあれ、およそこの写真のような飾り方を伝えています。

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