ひな人形について

ひな人形の歴史について

直近のリサイズ状況について

 3月3日も間近になり、連日お問い合わせ、ご依頼のご連絡があります。

 丁寧に丁寧にお一人ずつお答えしたり、作業を進めていきますが、2月半ばになりますと、大層混みあってまいります。

 十人十色でいろんな方が人形を送られていらっしゃって、即日または短期でリメイク・リサイズして発送する方と、長い方で1年~2年に渡る方でひな人形をお預かりしている方もいらっしゃいます。

 自分の立場にすれば、これから数十年ご自分のお家で飾られるとなると、ごゆっくり考えて一番ベストな飾り方をゆっくり考えられる方もいらっしゃいます。

 個々に対応させていただいて、ご納得のいくリメイク・リサイズをとやまだスタッフ一同と考えています。

 ご注文をお受けして、少しでも早くお届けをと考えています。

 それでもスタッフの中の人形担当や道具担当は、ここがもうちょっときれいに、元のままにはいかなくてもそれなりにと考えると、そのお人形のリメイク・リサイズはちょっと一休みです。

 次の日に良い案が出て良かった良かったということもあれば、資料を見つけるまでしばらくお休みのこともあります。

 発送担当やお客様担当は一日でも早くと思いますが、ひいてはこのおひなさまのためを思ったら、もうちょっと良い案が出るまで待とうかなと試行錯誤の毎日です。

 リメイク・リサイズのお待ちのお客様は、このような事情を鑑みてよろしくお待ち下さいますようお願いいたします。

 完成してお送りして、とてもきれいになってよくなった、ここまで変わるとは思わなかったとお聞きすると、やまだも嬉しくなってワクワクします。

 やはり親切丁寧がモットーかなとも思います。

 リメイク・リサイズのお問い合わせがありましたら、なんなりとお申し付け下さい。

 

ひな人形の歴史

 この時期に、改めて「ひな人形の歴史」に関しての資料をご紹介します。

 人形屋とすれば、いかに日本のひな人形が日本で世界で誇れるものかを述べます。

 日本の人形の文化を世界の文化遺産にと、人形関係者の方々のご尽力は、現在も続いています。

 日本で誇れる、日本の人形、お誕生の御祝用品としてのひな人形、五月人形は、世界に例の無い文化財として尊ばれています。

 ぜひこのことを申し上げたいと思います。

 まず、おひなさまの歴史、人形信仰、ひなまつりについてご紹介します。

 

 ひな人形の歴史は、遠く平安時代までさかのぼります。

 無病息災を願う祈りの道具として発祥したものが、貴族の間の遊びとして広まり、さらに江戸時代の中で庶民のお祭りと、女の子の健やかな成長を願う行事として華ひらき、現代にまで受け継がれてきました。

 「健康であるように」「心優しくあるように」と、雛に託す思いは、千年の昔から変わりなく続いています。

中国から伝来した人形信仰から始まった

 ひな祭りは遠く平安時代宮廷貴族の幼い子たちが、一対の「ひいな」を飾って人形遊びをしたのが始まりといわれています。

 昔、中国では上巳(3月初めの巳の日)に水辺でお祓いをする風習があり、これが日本に伝来して平安時代、3月初めの巳の日に、紙などで作った人形でからだをなでて汚れを祓い、これを川や海に流して健康を祈りました。

 現代でもそうした風習は各地に見られ、特に有名なのは、鳥取県の用瀬町の流し雛、和歌山市加太の浦にある淡島神社の雛流し、また宮崎の青島神社の青島雛などに、その神性の名残りをとどめています。

室町時代から盛んになったひな祭り

 3月3日にひな人形を飾って行う行事が生まれたのは室町時代からで、江戸時代に入ると、その行事は一段と華やかになり、年中行事として流行するようになりました。

 やがて元禄から享保の頃になると、衣裳雛が盛んになり、男雛が衣冠束帯、女雛は十二単という王朝風の姿となり、右大臣、左大臣、三人官女、五人囃子と懐古趣味豊かな節句となりました。

 ひな段も2段から3段、さらに7段と増え、赤いもうせんをしくようになりました。

 こうしてひな人形は、平安貴族の遊びとして発生し、室町、江戸時代に華ひらき、さらに現代へと幾多の移り変わりを経て、各家庭に定着していきました。

 ひな祭りは日本の美しい伝統行事として、またかわいい子どもに対する愛情の表れとして、いつまでも受け継がれていくことと思います。

 もしご家庭にひな人形がおありになりましたら、今一度飾られることをおすすめします。

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