ひな人形について

ひな人形の歴史について「江戸時代~明治時代」

 この度の静岡の土石流の水害、災害についてお見舞い申し上げます。

 なにぶん突然のことゆえ、当事者、関係者の方々の御苦労お察し申し上げます。

 復興を祈念いたします。

 

ひな人形の歴史

 本日は、前回の7月1日につづいてひな人形の歴史、飾り方について述べます。

前回のブログは、こちらになります。

昔のひな人形について

「雛女夫桃の細眉」(一部)香蝶楼豊国画 弘化-嘉永頃(1850年代)

柳亭種彦の「偽紫田舎源氏」の挿絵をさらに錦絵にして売り出した、いわゆる源氏絵のひとつです。屋根を抜いた御殿は通称源氏枠と呼ばれ、源氏物語の俯瞰的な構図を思わせる造りです。尾根つきの紫宸殿づくりの御殿と共に江戸中期ごろから用いられていました。

たんすを使った雛段の例 磯田湖龍斎画 明和-安永頃(176480

天明の俳人高井几董に「うら店やたんすの上の雛まつり」という句があるが、ほぼ同時代にこんな絵が描かれているのは面白いです。人口稠密な百万都市江戸で、庶民はそれほど広い家に住めたわけではなく、この絵のようにたんすの抽斗(ひきだし)を利用した雛段も生活の智恵で考案されたことでしょう。長屋などでは押入れを利用しました。「夜具布団出して都を移す也」(古川柳)

おもちゃ絵より雛人形づくし 一鵬斎芳藤画 弘化-嘉永頃(1850前後)

おもちゃ絵の天才、芳藤のあたたかい筆致は、幕末期の雛飾りのおおよそを丁寧に伝えています。随身や五人囃子も居並び、雛段は賑やかさを増しました。立ち雛や這々人形もいます。雛道具の大半は黒漆塗りの蒔絵だが、長火鉢、そして煙草盆は例外で、この二品だけがいかにも江戸的であり、また庶民的でもあります。

「風流小供遊十二ヶ月」より三月 石川豊雅画 作画期天明頃(178188

裃人形を乗せた雛の使いの駕籠を少年たちが庭先へ運んでいます。箒を毛槍に見たてた少年もいて、座敷の娘は笑いがとまりません。飾られた雛段は三段とかなり立派だが、ここにもまだお供の人形たちの姿はありません。

「画本東都遊」より十軒店雛市 葛飾北斎画 享和2年(1802)刊

江戸名所図会などにも描かれた有名な日本橋十軒店の雛市だが、店の奥からこれを捉えた構図は面白いです。大きな梯子段を上り下りする女性客の姿もあります。江戸自慢くらべの番付に「十軒店二階雛」とあるが、当時は二階で商談をすることなど、珍しがられたものでしょうか。「階子(はしご)おりきると二階で雛を負け」「二階迄見て紙雛を一つ買い」などという寛政-天明頃も残ります。

「英山十二ヶ月」より 菊川英山画 作画期享和-文政頃(180130

少女が飾ろうとしている裃姿の人形は五人囃子でしょうか。白酒をよばれたらしい少年は、ちょっとごきげんで話しかけています。

「ジャパニーズ・チルドレン」より 山本松谷画 明治30年代(1900前後)

雛段は五段の立派なものです。上に幕をめぐらす形式は幕末期あたりからの流行です。甲斐々々しくごちそうを作る少女の背には市松人形も見えます。雛祭は昔から人形祭り、そして人形遊びの一日なのでした。作者松谷は風俗画報の挿絵で有名です。

「新案見立雛百種之内 其二」 あやその案並画 明治時代

作者あやそのは伊藤綾園のこです。千代紙のいせ辰(当時神田)が売り出したものの一枚です。変り雛は本来、好事家たちが楽しむ風流な見立て遊びの雛で、今日のように世相をストレートに表現するものではありませんでした。とはいえさすが明治、折熨斗の雛や千代紙の巻き雛にまじって男女のハイカラな「学生雛」も登場しています

「江戸名所百人美女 十軒店」 三代豊国画 安政5年(1858

幕末期の作だが、雛の形はやや古風で、享保雛です。江戸期の雛の流行は息が長く、新しい型が生まれても、一方で旧い型も作り続けられていて、享保雛なども地方によっては明治まで需要に応じて作られていたといいます。

「をさな源氏物語 一 下」より 野々口立圃著 江戸初期(1600年代)

「紅葉賀」から。源氏が、おさなさの残る紫の上の部屋をのぞくと、「ひいなあそび」に興じている最中、という場面です。雛の館のようなものが据えられ、簡素な人形(這子のようなものも見えます)で遊んでいるという、物語に添って描かれた想像図です。この「ひいなあそび」と祓いのひとがたとが習合して雛祭となったというのが定説ですが、子どもたちが神事を真似て遊んだことが人形遊びのはじまりとなったとも考えられるでしょう。(をさな源氏は子供のための源氏物語です。作者野々口立圃は雛屋立圃とも呼ばれ俳人として名高いが、以前は次郎左衛門雛を創始した人物との説もありました。しかし立圃は雛屋次郎左衛門の別家であることが調査で判別し、今日では別人説がとられています。)

「伊那の中路(真澄遊覧記)」 菅江真澄著 天明三年(1783)刊

江戸後期の国学者で旅行家の菅江真澄の紀行文に、信濃の七夕の風習が絵入りで載っています。七夕の前日に「めをのかたしろ」を造って、糸で曳いて軒近くに吊すと書かれています。松本あたりの七夕雛の風習でしょう。

 七夕に七夕びなの説明ができて幸いです。

 

おわりに

 人形を扱い携わる仕事についていまして、いまだに人形の奥の深さ、まだまだ勉強しなければならないことが多々ありまして、身が引き締まる思いがいたします。

 一つ一つ丁寧にできるだけ正確にお伝えできたらと考えます。

 ご質問等がございましたら、なんなりとおっしゃって下さい。

 調べましてお返事申し上げます。

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