「断捨離」は、近年社会の中で認知され広く行き渡り社会現象の一つにまでなってきました。
ちょうどコロナ渦とも重なり、物を大切にと同時に家庭で不用になった道具等を換金したり処分する方もいらっしゃいます。
その中には、ご自分がかつて買われて好きだった道具、以前からあった家庭の中で代々伝わった道具等もあります。
本日は、物を手放すことの意味について少し考えたいと思います。
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処分、処理の是非
どうして人形屋がそんなことと思われるかも分かりませんが、お話しします。
これだけ世の中が断捨離、終活で道具を始末といわれるとなんらまだお若い方でも、広いお家でスペースがあってもシンプルな生活をとお考えになるようです。
それぞれでけっこうですし、確かにこれだけ物があふれているとなんとかご自分の代で少し道具を始末、処分なさろうとお考えになります。
その中でお道具の中でも、人形は処分や始末される一つでウェイトが高いようです。
通年飾られる日本人形や博多人形や民芸品、工芸品はそうでもないですが、ひな人形や五月人形は一年でも飾られる時期が短期間で、収納される期間が長いとなんとかこの際始末しようと思われる方が多いようです。
同時に「立つ鳥跡を濁さず」を考えて始末にかかられます。
家具、衣類、書類、道具、大切にしているものは「身の丈にあった量だけを持ち、好きな物に囲まれて暮らす」、好きな物は持っている暮らしの見晴らしをよくし好きな物だけ残しその中で暮らす。
物にしばられることを好まず好きな物だけの中で暮らす、好きな事だけで暮らせるそのような流れに変わっているようです。
コロナ渦以降自宅に大型冷蔵庫を求める、ワークスペースにオフィス家具を入れる、持たないことで心の余白を作ります。
道具が増えると、以前あった道具の価値を考えます。
ものにしばられないことで、解放感や幸福感が得られる。
持つことの肯定論、否定論
持たないことで解放感や幸福感につながると思われる方もいらっしゃるそうです。
ものがなくなると、
①物を減らすために「いる・いらない」を選択し、自分の好きなこと、ものを再認識する
②迷う時間が減った
③掃除の時間が減った
物があふれているのは、いつも探し物をして片付けなきゃとおわれていた、そのような経緯からなんとか物を整理して、少しでも少なくと考えるようです。
断捨離ブーム
捨てないから豊かなんで整理整頓されたシンプルな部屋、その暮らしが本当に豊かなのか
生産し、分配し、消費して捨てる、廃棄されるものは価値がないのかと考えます。
人間は回想力を持っていてその回想と生きることが本当の豊かさでないかと考えます。
回想の中で人形等は幼い頃からの思い出作り、お祝いのはれの人形として大切にされてきたと思います。
捨てるから少しずつ変わって大切に使う、資本主義の行き着く先は汚染やゴミの問題の可能性もあります。
ものに対する執着はみんなもっていて、生きているからこそ執着があります。
人間は生まれた時も死ぬ時も一人です。
その孤独を癒してくれるのが培われてきた記憶です。
その記憶の再生には写真や会話であり、さらにはものが記憶を呼び覚ますことになると考えます。
そのものやことの一つに人形はあると思います。
「捨てない生き方」があってもよいし、コロナ渦以降かえって大切に認識されてきたのではないでしょうか。
人形の始末について
本日は人形とは離れたお話しになりましたが、常日頃特に最近気になることをのべました。
人形屋が人形を語るにあたって、断捨離を通じてこじつけと思われるかもしれませんが、なんとか人形を処理、処分なさらずに再生方法をお考えになられたらと思いのべました。
引っ越しでもなくマンションに移られるのでもないのに、人形をお持ちになって引き取って下さいとおっしゃると、ご説明するとそれではとみなお持ち帰りになる方もいらっしゃいます。
なにしろ収納に困ってお見えになると、ご説明してひな人形の場合は親王だけ、親王と官女だけお持ち帰りになる方もいらっしゃいます。
昨今の断捨離事情で人形についてのべました。
なんなりとご相談下さい。
よろしくお願いします。