一昨日から降り続いた雪で、朝方には道路には除雪車が走ります。
積もった雪は、除雪車によって左右に分けられて道路は見事にきれいになります。
昔は手動であげましたがここ数十年は車であけますので、市内全域活動がはじまる9時頃には幹線道路は人も車も通れるようになります。
一晩の大雪で次の日には道路状況が大きく変わりますので、ご来店の際は今一度ご連絡下さい。状況をご説明します。
よろしくお願いします。
本日はおひなさまの歴史についてのべます。
以前申し上げたように思いますが、また資料が違いますので、分かりやすく書かれていますのでご説明します。
おひなさまの歴史
ひな人形の歴史は、遠く平安時代までさかのぼります。
無病息災を願う祈りの道具として発祥したものが、貴族の間の遊びとして広まり、さらに江戸時代の中で庶民のお祭りと、女の子の健やかな成長を願う行事として華ひらき、現代にまで受け継がれてきました。
「健康であるように」「こころ優しくあるように」と、ひなに託す思いは、千年の昔から変わりなく続いています。
中国から伝来した人形信仰から始まった
ひなまつりは遠く平安時代宮廷貴族の幼い子たちが、一対の「ひいな」を飾って人形遊びをしたのが始まりといわれています。
昔、中国では上巳(3月の初めの巳の日)に水辺でお祓いをする風習があり、これが日本に伝来して平安時代、3月初めの巳の日に、紙などで作った人形でからだをなでて汚れを祓い、これを川や海に流して健康を祈りました。
現代でもそうした風習は各地に見られ、特に有名なのは、鳥取県の用瀬町の流し雛、和歌山市加太の浦にある淡島神社の雛流し、また宮崎の青島神社の青島雛などに、その神性の名残りをとどめています。
室町時代から盛んになった雛まつり
3月3日にひな人形を飾って行う行事が生まれたのは室町時代からで、江戸時代に入ると、その行事は一段とはなやかになり、年中行事として流行するようになりました。
やがて元禄から享保(1688~1735)の頃になると、衣裳雛が盛んになり、男雛が衣冠束帯、女雛は十二単という王朝風の姿となり、右大臣、左大臣、三人官女、五人囃子と懐古趣味ゆたかな節句となりました。
雛段も二段から三段、さらに五段と増え、赤いもうせんを敷くようになりました。
こうしてひな人形は、平安貴族の遊びとして発生し、室町、江戸時代に華ひらき、さらに現代へと幾多の移り変わりを経て、各家庭に定着していきました。
ひな祭りは日本の美しい伝統行事として、また可愛い子どもに対する愛情のあらわれとして、いついつまでも受け継がれていくことでしょう。
上手な選び方、買い方
ひな人形を購入するについて、いちばん基本的なことは、種類・サイズ・顔かたちなどを考慮して買い求めることですが、それよりもまず、どこの部屋に飾るかということでしょう。
置き場所、飾り場所が決まったら衣装人形にするか、木目込人形にするかを決めます。
前者も後者もそれぞれに優雅で華麗な雰囲気を漂わせています。
人形の種類が決まったら、段飾り、平飾り、ケース飾りのいずれにするかを決めます。
次におひなさまのお顔ですが、伝統の気品あふれる京顔と関東風の可愛い頭があります。
お好みに合ったお顔をお選び下さい。
最後に衣装の種類、善し悪しを確かめるべきですが、これはやはり専門家であるお店の人に尋ねて、ご自分の趣旨にあった人形をお選びになるとよろしいかと思います。