ひな人形について

あまり知られていないおひなさまについて

暑い日が続きますが、ご自愛下さいましてコロナ感染症、熱中症に気を付けて毎日をお過ごし下さい。

今日は、以前にもお話ししましたかと思いますが、あまり知られていないおひなさまのお話しをします。

お時間はあれば、涼しいお部屋で日本古来の雅なひな人形の物語をご覧下さい。

 

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ひなまつりの「はじまり」は?

歴史的に詳しいことは分かっていませんが、平安貴族の子どもたちが「雛遊び」をしていたことは千年前の「源氏物語」にも書かれています。この遊びを起源にするものと、「流し雛」のように「穢れ払い」をするもの、この二つが源流にありました。

江戸時代に入り、ひなまつりは幕府が制定した五節句の一つになり、「上巳(桃)の節句」として広まっていきました。そうしてひな人形をつくる技術も向上し、豪華な観賞用のおひなさまが登場。それが今日の立派なおひなさまへと発展していったものです。

「子どもが健やかに幸せに暮らせますように」という「親の願い」が、おひなさまを立派にし、ひなまつりを盛んにしていったのです。

 

飾り方に「決まり」はあるの?

最初のおひなさまは男女一対の素朴なものでした。時代を経て飾って楽しむことが主流になると、ひな人形はだんだんに豪華になり、京都からは三人官女が生まれ、江戸からは五人囃子が生まれるなど仲間が増えていきます。そして雛道具も加わって、豪華なひな飾りへと発展していきました。

平飾りからはじまったおひなさまも、2段、3段と段が増え、江戸後期には今の形の5段、7段飾りも登場。そして、たくさんの人形を飾るために「仕様書」ができ、「雛段」もセットになり、飾り方の基本の決まりができました。

本来のひなまつりは、自由に楽しく飾るもの。昔は、家中の人形や、お母さまやお祖母さまのおひなさまも一緒に飾り、飾る場所や人形の数によって様々に飾りました。ですから段雛セットにこだわらず、お部屋のスペースに合わせて自由にやられていっこうに構いません。

 

なぜ「桃の節句」というの?

五節句は神様をお迎えする祭事でもあり、神様がお見えになるには「依り代」という寄り付く植物が必要とされました。例えば、正月は「松」、ひなまつりは「桃」、七夕は「笹」です。

中国では桃は霊木で、邪気を払う力があると信じられていたから「桃」なのです(五節句は中国から伝来しました)。「邪気を払い、福を寄せる」のが祭事の決まりですから、「桃の力で邪気を祓う」、そう、鬼を退治したのです。

ここから「童話・桃太郎」も生まれました。邪気を祓い鬼退治するのが「桃」だから、「桃太郎」です。「桜太郎」や「梅太郎」では意味が成立しなかったわけです。

また、緋毛氈の色は「赤」。「赤」は古来から邪気を寄せ付けないとされていたからです。昔の漁師さんは身を守るために赤褌を締めたり、祭事の時には赤豆(あずき)を食べたり、達磨が赤だったり…。「赤」は特別で大切な色だったのですね。

 

男雛、女雛の「右左」はどっち?

昔のおひなさまは向かって右が男雛でした。中国でも日本でも、高貴な方の御殿は南向きに建てられましたから、向かって右が東、日が昇る方向。左は西、日が沈む方向です。日が昇る方向が当然上座ですから男性が座る。天皇も武家もこれが正式の並び方で、おひなさまもそうなりました(しかし当時の浮世絵を見ると、さほどこだわってはいないようでしたが)。

明治になり天皇の国際的交流がはじまると、西洋はその左右が逆と分かりました。西洋は騎士道ですからナイトの精神です。「右手で剣を持ち、左手で女性を守る」。東洋の逆です。そこで、天皇・皇后の左右も国際基準に直し、おひなさまもそれに習っていきました。

 つまり「どちらでも正しい」が正解です。もしこだわるのなら、昔のおひなさまは向かって右が男雛、今のおひなさまは向かって左が男雛、と決めてもいいかもしれません。

 

よくご質問を受ける問題にしてお答えしました。

なんなりとおっしゃって下さい。お答えします。

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